‘志賀郷の七不思議’ カテゴリーのアーカイブ

児童は伝説の担い手

2012/07/17

7月8日舞鶴市内で開かれた「第4回由良川市民講座」に、志賀郷連続自由講座運営委員会からパネル展示を出展しました。志賀小学校昨年の4年生の七不思議作品と自由講座より活動発表と今後の予定を宣伝しました。

志賀郷を宣伝するには、やはり「志賀郷の七不思議」が欠かせません。

志賀郷に住んだ人々の郷土の思い出がそこに残されている。そしてまた、街道と山の道と大川を越えて行き来した人々の交流の歴史がそこに広がっているからです。

七不思議伝説を今後も永く伝え担っていくのは小さな児童の底力であると思います。

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阿須々伎神社の茗荷祭

2011/02/05

http://www.youtube.com/watch?v=DhciMRnzycQ

2月3日今年の節分は快晴。金河内町の阿須々伎神社で600年つづいてきたとされる行事「茗荷さん」は、稲作に関する神事です。境内の清水の湧くお宝田に神官が入り、茗荷を3本刈り上げます。

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その姿、形でその年の稲作の作柄、豊凶を占い、神のお告げを求めるのです。kariage.JPG

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室町時代に形を成し、現代まで延々続いてきたといわれる伝統行事で、志賀郷の七不思議の第一番目に挙げられます。(二番目は篠田神社の筍祭です。同じようにタケノコ(しのたけ)を刈り上げてお米の出来具合を神前にお伺いを立てます。これは2月4日立春の行事です。)

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新設されたスタンプ台DSCF0313.JPGDSCF0312.JPG

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志賀の七不思議NO.6とNO.7 しずく松とゆるぎ松

2010/10/31

 七つの不思議に数を合わせるために、最後に二本の不思議な松の物語をくっつけたといわれていますが、そのころの権力に近い力を持った人物の、いわば地域おこしへの願望のあかしのようにも思われます。(これは私の主観)

そして、しずく松の皮が今でも志賀郷公民館の2階にガラスケースに収めてあります。皮の厚みは十二センチ、推定した幹周りは約十メートルの巨木らしい。どうやって運搬したのであろうか。

明智光秀が福知山上を築く時、このしずく松を捜し当て、切り倒そうとしたが、切った木屑が夜の間に集まってもとの姿になっているので切り倒すことができない。やむなく一片ごとに火中に投げ入れようやく大幹を切り倒すことができた、とは不思議な伝説と思いきや、

「明治の初め福知山城を解体したとき、この棟木を志賀郷村へ返そうという話が持ち上がったが置く場所がないと言う理由で断ったといいます。今になれば惜しいことをしたものです。」と平成15年公民館発行の「七不思議伝説と志賀の里」冊子に書いてあるので、なるほど伝説というものはこのような姿をしているものかと、納得しました。

4月4日沖縄から法事で来たいとこ達に志賀郷の七不思議を案内しました。私の初めての七不思議案内の日。

この写真は明治の学生諸君よりはやく、今年4月初旬に、私の沖縄のいとこたちを案内して七不思議めぐりをしたときのものです。

 「明智光秀、丹波をひろめ、ひろめ丹波の福知山」と福知山音頭にうたう丹波攻めよりずっと前から、しずく松、ゆるぎ松は五社の不思議とともに縁起に記載されていて、

「毎年正月6日、午前10時になると松のしずくが雨のように落ちその年の日照り、水害をうらなった。又、しずく松と向かい合ったもう一本のゆるぎ松は、正月の7日の日の出から日中にかけて都によいことがあれば上の方の葉が揺らぎ、悪いことがあれば下の方の葉がゆらいだ、

このことは一般の里人には知らされず、宮廷にだけ奏上された、向田の里に善と悪とがあるときにも同じようにゆれたが、凡人にはそれがわからなかった」とあります。

(この辺は少し肩がこるようないかにも上からこしらえた理屈が見られますね。熱心に作ったと思いますけれど。)

(さらに…)

七不思議の五社めぐりNO.5 最後は「茗荷さん」です。

2010/10/30

阿須々伎神社に伝わる七不思議が、有名な「茗荷さん」です。2月3日、節分の日の行事として今も続けられています。本殿下の清水の湧くお宝田に雪の中から茗荷があがります。神職がそれをほりあげ、茗荷の大きさ、姿からその年の稲の出来具合や気候を予言します。DSCF9444.JPG刈り取った茗荷は神前に供えられます。

2月4日立春に、竹の子をほりあげてお米の豊凶を占う篠田神社の「筍さん」とならんで、七不思議の双璧をなす伝統の行事です。

阿須々伎神社は西暦720年ごろ創建と伝わる大変古い神社です。それ以前は後ろの山、金峰山に奉られていたといいます。 

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志賀郷の「七不思議」は、以上五つの神社それぞれに、はぎ、ふじ、柿、竹の子、茗荷と全部季節の植物がシンボルとされていることが、この土地の豊かさを感じさせます。

七不思議最後の二つは、神社ではありません。しずく松、ゆるぎ松という2本の松のものがたりです。   (つづく)

明治大学の七不思議めぐり NO.4

2010/10/30

四番目の不思議は、藤波神社の藤波大明神の「シラサギ伝説」です。

神社の前にフジの木が植えられていて、正月元旦になると白い花が一面に咲くのです。このおめでたいフジの花を毎年新しい箱に収め宮廷に献上するのが習わしでしたが、正安元年(1299年)正月、都へ運ぶ途中、園部の水戸の峠(今の観音峠)のあたりで箱を開けてしまい、フジの花は一羽のシラサギになって飛び立ってしまいました。

シラサギの止まった麓の森は「鷺の宮」として今も奉られています、という伝説です。

藤波神社の境内に今も残る白藤の老木です。(志賀小学校にも白藤の棚があります)DSCF9413.JPG

この話にはオチがあって、即位したばかりの後伏見天皇は正月のフジの花が届かないのを怒って、天皇の位を従弟の後二条院に譲ってしまったそうです。(確かに年表では在位わずかに2~3年)

(諏訪大明神のカキが届かないのを怒って位を譲ったというお話は2006年の公民館の配った資料にありますけれど、シラフジの話の誤植でしょう。)    七不思議の4番目はこれでおわりです。  (つづく)

明治大学・七不思議めぐり NO.3

2010/10/24

次の不思議は、諏訪神社の諏訪大明神の「カキの不思議」です。

   拝殿の向かって左手前石段下の背の高い柿の木です。

毎年、旧暦の正月6日になると朝早く青い実が三つなり、昼になるとそれが真っ赤に実ったというから信じられない話です。

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DSCF9409.JPGこの不思議が広く知れわたり、都の天子様の耳にも入って、毎年使いのものが天子様にこの三つのカキを献上する習わしになりました。

 ところがある年、(伝説によると正和元年=1312年、約700年前) 使いの者がこのカキを新しい箱に入れて都に向かう途中、須知(シュウチ)でのどが渇いたので里の家に入り、お茶を飲ませてもらったところ、にわかに腹痛がおこり、大騒動する間にカキを入れた箱は北の空へと飛び去ってしまいました。

 これは「火の食い合わせ」といって、火を通したものを口にしてはいけないという掟(オキテ)に背いたからです。

それからというもの、正月6日にカキが実るという不思議は消えてしまいました。

 都の天子様は、何時まで待ってもカキが届かないのを怒ってとうとう天子の位を弟に譲ってしまわれたということです。

 このカキは「御用柿」といいます。梅干より少し大きいくらいの丸い実で自然に生えている渋柿のようです。黄色く実るといつの間にか山鳥が食べてしまいます。   (つづく)

明治大学・七不思議めぐりNo2.

2010/10/24

DSCF9444.JPG若宮大明神(若宮神社)の不思議は、お正月の5日に寒風をついて白い萩の花が咲き、その年の作物の吉凶を示しました。DSCF9396.JPG

 

今は普通の白いハギの花が社前に咲きこぼれています。

                      (つづく)

明治大学文学部社会学科杉山ゼミ、志賀郷の七不思議をめぐる

2010/10/24

 9月22日午後、はるばる明治大学から3名の若者が杉山教授とともに来訪。

志賀郷の七不思議めぐり・峠ツアーがはじまりました。

七不思議の一番目は、篠田神社。

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