‘他地域へ見学、交流’ カテゴリーのアーカイブ

京都と上林は近い

2013/08/11

「京新山」という名の料亭が、京都の祇園「川端四条上がる新橋角」というとっても行きやすい場所にあります。京阪電車・祇園四条駅下車・9番出口・徒歩一分です。

ここ「京新山」は綾部・上林の人がやっています、って耳にして、綾部の田舎(志賀郷)からやって来たわたくしはすっかり嬉しくなりました。宇治のお茶の老舗「かんばやし」も戦国時代の終わりに上林からやってきた名家です。上林は都に近いのだとふと思いました。

の前京新山.JPGの前京新山.JPG京新山で.JPG

2階のお部屋から、南の方角を撮りました。四条大橋。(橋のたもとに東華菜館)

 

西の方角  鴨川の七夕飾りがキラキラきれい。床が並んでいます。

京新山から鴨川対岸.JPG

 

 

「十三墓」再訪 (物部・上原氏落城の史跡)

2013/03/09

    昨年秋、史跡「十三墓」を訪ねた日はキイロスズメバチの巣に阻まれて近寄れなかった。

    このたび改めて案内を得て、お参りしました。

   DSCF5669.JPG

  DSCF5677.JPGDSCF5677.JPGDSCF5670.JPG

    竹やぶの中に、かすかに残る盛り土の跡が

   13ヶ所、眼光するどい人にはみわけることが

  できます。 DSCF5679.JPG

 下市の城山(物部城)が牛舎の屋根の向こうに見える。

 元亀(げんき)二年(1571)物部城の上原右衛門少輔は氷上郡黒井城主赤井直正に攻められて落城、家臣13名が城の見えるこの場所で自刃したと伝わっていた。昭和58年(1983)この地で、牧場畜舎を拡張工事中に盛り土をした墓らしいものを多数見つけ、綾部市教育委員会に報告。調査の結果、伝承の「十三墓」であることを確認した。(公民館報、村誌、市史による)

                                なお現在、甲蹄疫予防のため敷地内立ち入りには牛舎

                                の許可が必要です。    

連続自由講座2012年その2  「十三墓」と「みたち池」と「三坂峠」

2013/02/04

2012年9月24日 志賀郷歴史の会、福知山明智光秀公研究会合同で、戦国~天正の歴史舞台を訪ねました。

20120924_132005.jpg ここは史跡「十三墓」です。

 綾部市西坂町笹ヶ鼻(小字鴻巣山麓)       

元亀二年(1571)物部の上原氏が黒井城主赤井直正に攻められ落城  。お城の見えるこの場所で家臣13名が自刃したと伝わる。(昭和30年物部村誌)

 昭和58年に供養塔が建てられたが、現在藤本畜産の敷地内にあるため許可を得なければ見学できません。 現場責任者のご好意で草刈などお世話になりましたが、キイロスズメバチの巣が活動中でこの日は近付ませんでした。

http://fv-ayabe.jp/shiga/2013/03/09/%e3%80%8c%e5%8d%81%e4%b8%89%e5%a2%93%e3%80%8d%e5%86%8d%e8%a8%aa%e3%80%80%ef%bc%88%e7%89%a9%e9%83%a8%e3%83%bb%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e6%b0%8f%e8%90%bd%e5%9f%8e%e3%81%ae%e5%8f%b2%e8%b7%a1%ef%bc%89/

           

   20120730_053615.jpg ここが綾部市鍛治屋町「みたち池」、「昔お姫様が三坂峠を越えて逃げてきたが追手に討たれて、その時に使われた血刀を洗った池」 「身を断つ、身を絶つ、あるいは御太刀」と、地元では二説ある、と古くからの村の住民が話されました。「三坂峠」へ続く、集落の路傍にある小さな水面。古くからの水源としてコンクリートで保護されている。

20120924_134710.jpg

普門院の裏山続き。石段を上がると稲荷神社が祀られています。「昔は飲み水として汲みに行った」「池の石が赤くてこわかった」と子供時代のお話。

「みたち池」の故事は<佐賀村誌>1995年に詳しい。永禄二(1559年)戦国時代の物部と報恩寺の城主たちの裏切りの物語に巻き込まれて自らも行き場を失った「奥方」のゾッとするような悲劇とおもわれる。

このあと、みたち池脇の道をたどり民家の横から福知山市報恩寺へ、山越えの「三坂峠」へ登りました。一時間足らずで「三坂女臈の碑」のある頂上に着いた。「明和六正月二十三日南無妙法蓮華経」の石碑は1769年片岡氏が供養のために建てたとの文言を記す。20120911_045406.jpg

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私たちの「奥山」が、優しい山であるということ。

2008/11/30


今日、舞鶴市与保呂地区で「みんなで実のなる木を植えよう」という取り組みに参加してきました。急な山道を一列になって、長い長い斜面を登りました。しんどかった。
現場は、山並みの向こうに舞鶴湾を眺望する、相当の高さの山の尾根でした。小さいこども達が7,8人も参加していて、その山登りの早さ、木を植えるときの元気さ、名札を付けるときの熱心さに、感心を通り越して呆然としました。こんな条件の厳しいところで、どんぐりのなる木を植える活動を、続けてしておられるんだと、感服しました。
 同じような「奥山」でも、私達の奥山ははるかに優しいです。登りやすいし、距離も短いし、上った尾根には木立の陰に簡易トイレも置いてあります。私達、これからもっとしっかりせねばと思いました。奥山に甘えないで、人々に遠慮しないでこれからもっと強くならねばと思いました。