‘その他いろいろ’ カテゴリーのアーカイブ

アケビについて

2010/10/23

初めてアケビをとりに行きました。

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一つ100円で、10月16日の志賀郷三土市に出しました。

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あ、アケビだ、懐かしいなあ、めずらしいなあと

6個も売れました。

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パネル・写真展ありがとうございました。

2010/10/13

 

tenji

<不思議の国・志賀の里へようこそ>パネル・写真展は250人以上の来場者を集め三日間の会期を無事終了しました。お世話になった皆様、ありがとうございました。ご来場いただいたみなさまにも、お礼申し上げます。奥山の林間カフェも再現できたし、紹介したいテーマを全部おもちゃ箱のように並べることができて、精一杯でした。いつもは、志賀郷公民館多目的ホールに掲げてある七不思議のパネルが外部へ出たのは、初めてかも知れない。

 

 

パネル・写真展の宣伝チラシ詳細版です

2010/09/19

かかし祭りを見に来た白サギ

2010/09/19

 

琴光喜を惜しむ

<不思議の国・志賀の里へようこそ>パネル・写真展

2010/09/11

このチラシ作るのに時間かかりました。明日、かかし祭りで配ります。かかし祭りはJA何北支店前です。志賀郷公民館産業部主催。

繭麻呂とおともだち

2010/07/06
どくだみの一輪挿しや巴里祭

十薬の一輪挿しや巴里祭 

来年2011の国民文化祭のキャラクター「まゆまろ」、はじめて入力変換したら「繭麻呂」と

いっぺんで出て、納得しました。 

送ってきた大判のポスターを、自宅のガラス戸に

貼りました。

この「繭麻呂」とおともだちになって、来年の本番まで、未来を歩きます。

未来とはまだ見ぬ日々のこと。

志賀っ子広場で古代史に親しむ

2010/03/24

DSCF7500-12010年2月3日綾部市志賀小学校

綾部市資料館の三好博喜さんが、近くで出土した土器を手に説明する。

綾部市全体では、一千件もの古墳が発見されていることを、しりました。

志賀郷地区には、29件あります。志賀郷地区のすべての町区に散らばっていて、現在の集落がその頃から始まっていた様子がわかります、と現在とのつながりを子供達にわかりやすく、説明されました。

今度は1500年前の焼き物です

2010/01/16

DSCF7127DSCF7120去年、登尾峠の近く「陣屋岳」の尾根で2000年前の石斧を発見採取しましたが今度は1500年前の焼き物です。

発見(採取)場所は山ではなくて平地の盛り上がった場所、「土坑墓」だそうです。死者へのお供え物の蓋付きの器です。足がついていて「たかつき」(高杯)といい、焼き物の種類は「須恵器」といいます。なんて、資料館の三好氏に教えてもらうまで、なんにもわからなかった。

しかし、このお供え物の器が1500年前に埋められたまま、綾部市西方町の田んぼ畑のそばにねむっていて、それを

今から30年前志賀小学校の3年生の大槻君が見つけて掘り出して、学校の先生に見せたことは、一度聞いたら忘れられない物語です。30年前、先生はそのことを教育委員会に知らせました。文化財として30年間保管されていたのをこのたび綾部市資料館から里帰りして、志賀郷公民館のロビーに展示してあります。

何で30年ぶりに展示されたかというと、今は38歳になっている大槻君が「あの場所にまだ堀残しが見えています」と知らせてくれて、資料館の三好氏が早速現場に行って掘り出したのです。そうしましたら、「30年前の割れたかけらとぴったり割れ目が合いました」と、感激ひとしおでした。1500年もそのままだったのだから、30年間そのままだったのも不思議はないかしら。

でもやっぱりなんだか不思議でなんだか楽しいお話ですね。三年生の大槻君を指導された先生は今はお亡くなりになっていて、残念です。

奥山・陣屋岳の尾根で弥生時代の石斧を発見

2009/06/14

2009-06-14-1311-571 5月14日午前、標高368メートルの陣屋岳の尾根を、一行5人で歩いていた時、同行されていた郷土史研究家のK先生が、ふと、目に留められて、足元から拾い上げられたのが、タイトルの「弥生時代の石斧」です。

私を含め、他の4人だったらただの石としか思わずに見過ごしていたと思うと、その偶然に驚きましたが、その後一ヶ月たって今考えますと、それが、専門家の見る目の力なのだと思います。

半分は土に隠れていたと言われ、「取り上げる前に写真をとっておけば良かった、そうしなければならないのです」と先生は専門家らしく反省しておられましたが、拾われたのは間違いありません。みんな驚いたのです。

採取された石斧はその後、綾部市資料館の専門官の調査でも、裏づけされ、弥生時代に使用されることの多かったという<太型蛤刃石斧>であることが判明しました。

なぜあそこにあったのかは不明だが、用途が木材伐採用であることから、山中で亡失したのではないか、と説明されました。

 奥山の峠や尾根には、この場所の力を示すいろんな痕跡がある、それを見る目が私たちのほうにないだけなのだと、思いました。

 生涯学習の社会科・日本歴史・古代が、今始まった気のするのは私だけかもしれません。おおげさですから。

 

「かもめに寄す」

2009/02/04


はるかなる、峰にしたたり
 谷をぬい、野を行く川は
 やがて明るい、海を見る
 かもめよ、かもめよ 渚のかもめ
 川の便りを、聞きたいか

1960年(昭和35年度)NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲
「かもめに寄す」
野田宇太郎作詞
上元芳男作曲