‘地区婦人会の思い出・女の太鼓、女の夢’ カテゴリーのアーカイブ

「かもめに寄す」

2009/02/04


       はるかなる、峰にしたたり                      

   谷をぬい、野を行く川は

    やがて明るい、海を見る

                                                  かもめよ、かもめよ 渚のかもめ

                                                                       川の便りを、聞きたいか  

 (写真はクリック!)
 

   1960年(昭和35年度)NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲
                     「かもめに寄す」
                野田宇太郎作詞     上元芳男作曲

  パーマリンク: http://fv-ayabe.jp/shiga/2012/11/08/ ‎                

登尾太鼓の創作

2009/01/27


「登尾太鼓」の形は、みんなが同じように一人で、大太鼓を打ちたい、という女性の願いを元に出来上がった形です。大太鼓を一列に並べて、向こう向きにそろい打ちします。
 

「登尾太鼓」の構成は、地域の共有山である奥山の、歴史と風光を描写し、行き止まりの峠の向こうへ向けて、開通を呼びかける、という内容です。
その結果、なんだか歌謡曲のような、演歌のような太鼓になりました。

木丈先生(太鼓の先生のペンネーム)に創作を依頼して、この新しい太鼓が出来上がりました。女性が打ちやすいようになっております。
「登尾太鼓」は、登尾太鼓会のレパートリーのひとつとして、永く披露してきましたが
メンバーが減ったために、演奏する機会がなくなりました。
木丈先生は太鼓会の指導員として、ボランティアでずっと、私たちの面倒を見てくださいました。なかなか言うことを聞かないおばちゃんばっかりの登尾太鼓会でした。
木丈先生が急逝されて、先生の残された太鼓の譜が、何種類かあります。
「登尾太鼓」以外に、「二拍子」、「観音太鼓」など。
 先生、お世話になりました。生前のお年賀状に「太鼓は友達」と書いていただきました。わすれませんわ。あちらでも太鼓と楽しんでおられますように。

女性の太鼓グループが珍しい頃で、いろんなところに呼ばれていきました。
木丈先生のお世話で行った大江町の鬼祭りのステージ
子供のように楽しくて、本番に強い女の太鼓。

登尾太鼓会の誕生

2009/01/25


奥山に桜の植樹が始まった頃、地域に女性ばかりの太鼓グループが誕生していました。
ほとんどが、40代、50代、60代で生まれて初めて撥(バチ)を握ったという異色のグループでした。
昔から、太鼓の音を好む女は多かったのです。伝統的には男のものである太鼓を、女も打ってみたいという望みが、地域で実現した、明るい動きでした。

「太鼓を打つ者も少なくなって、子供も打たなくなっていたのに、こんなに大勢の婦人会の人が太鼓をしてくれるなんて、うれしくて、ねむれんかった」と、喜んで先生になってくださる方が、地域にお二人もおられたのです。本業は大工さんと瓦屋さん、お二人とも伝統ある「綾部太鼓保存会」の古くからの会員でした。

1993年11月23日、初めての桜植樹の日
奥山の行き止まりの府道で、習ったばかりのリズムを打つ。
峠の向こうへ向けて、打つ。
演目は、「あやべ太鼓」と「登尾太鼓」。
グループの名前は「志賀郷登尾太鼓会」。

登尾峠を探す人

2009/01/19


2004年3月21日のお彼岸の日
奥山の府道沿い、峠まで300メートルぐらいの所に、エドヒガン苗を10本植えました。
地区婦人会を母体にした奥山・登尾峠に桜を育てる会のメンバー12名で植えました。
この年の4月7日
植えた苗にわらを敷いていたら、道路の上の方から乗用車で降りてくる人が居ました。
登尾峠はここですか、行き止まりですね、といわれました。
そうです、行き止まりです。歩いて越えた昔の峠を今探しているところです。と答えました。
これが、なべちゃん氏との初対面です。写真は2004年5月22日の映像
その後、4月18日の、奥山・お花見ウォーキング
5月12日の、登尾峠を歩いて越えるための準備会
7月25日の、登尾峠を歩いて城屋まで越える下見会にもご参加いただきました。

写真は、同じ場所の2008年12月の映像です。
エドヒガンは、寿命がすごく長いと、苗木を提供いただいた財団法人日本花の会の資料で知りました。成長もゆっくりです。

奥山1993年の伊八

2009/01/08


15年前の伊八
1993年11月23日
共有山・奥山に桜を植えようと 当時の地区婦人会が地域に呼びかけました。
(伊八とは、場所の名前です。当時、奥山唯一の緑陰の場所)

婦人会の呼びかけに応えて集まった人々

女性組織の力が、みんなを引っ張りました。
 すごく寒い日で、郷和会の人が焚火をしてくれたっけ。
60本ぐらいの苗を、杉・ヒノキを植えるように、簡単な穴掘りで、気軽に植えた、初めての植樹。道路沿いに植える場所を準備して奥山のあちこち、6~7ヶ所に分かれて植えた。
水もかけなかった。あくる日は京都府中北部に初雪が降って、ほっとした。

2008年12月現在の伊八
植えた桜は大きくならず、梅の木のように古びました。
林の中に植えた山桜は、元からそこにあったように、じっとしています。
真夏の奥山で一番涼しい場所です。

桜が咲いていなくても、お花見をすること

2008/12/19


1998年4月の、ある晴れた日
「松茸山下」のコブクザクラの木の下で。
コブクザクラは10月から咲き始め、冬の間咲きつづける桜。
春になるときれいな若緑の葉っぱといっしょに、又新しく、白い春の花をつけます。
この年のコブクザクラは、前年の秋に、初めて少し花をつけたばかりで、春の花はつきませんでした。
4月のある日、志賀郷の老人会が、お花見をされました。

まだ咲かんなあ、来年は咲くやろ、などと話しながら
奥山の風光を楽しんで、桜の木を、眺めていた、お花見。
太鼓の女性は、元、登尾太鼓会の会員です。

コブクザクラの思い出

2008/12/12


コブクザクラの花がはじめて咲きました。
 1997年11月23日 奥山の秋