「七不思議は生きている」子供たちの質問と梅原諭さんの回答例
「七不思議伝説は生きている」
私は最近「志賀郷の七不思議伝説」について、この伝説が現在も生き続けているという実感を持つことが二度ほどあったので、ご紹介します。
その一度目は志賀小学校の4、6年生の児童が七不思議のいくつかについて質問を出して、それへ回答された仁和町の梅原諭さんのコメントを一覧した時です。(梅原諭氏は今年4月急逝され、この回答集は遺稿になりました。)
二度目はやはり昨年末、向田町の竹内繁さんから「向田観音と七不思議、しずく松ゆるぎ松の話」を文章にしたものを渡された時です。
まず、子供たちの質問と梅原諭さんの回答をご紹介しましょう。4年生10名、6年生9名、計19名の質問が出され、そのすべてに回答しておられます。質問はメモ用紙に短時間に書き留められて提出されたもので、梅原さんはそのすべてについて丁寧に思うことを述べておられます。
以上、19の質問と回答です。
「志賀の七不思議」はなぜ「生きている伝説」か
1、伝説を証明する所在地と鎮守の森が、広い志賀郷地区の全域に配置されて集落の人々の心を引き留め、毎年の「茗荷さん・筍さん」によって伝説が生きていることを感じさせる。
2、七不思議に登場するのは、誰もが今も目にすることのできるありふれた植物、野鳥、自然そのすべてが、この伝説がむかし、身近に始まったことを感じさせる。田んぼのシラサギを見ると伝説を思う。
3、七不思議の全体に、歴史上の人物、事件が結びついて地域の長い歴史が語られて、郷土の文物、文化への関心が絶えず沸き起こる。
4、なによりもまず、信じる人々が存在するという伝説の基礎がある。それらの人々によって過去も現在も伝説は新たな解釈、発見を付け加えられて次の世代へ伝えられ、そのことの繰り返しがあれば、伝説は滅びることなく一つの場所で生き続け、成長し続ける。
志賀郷地域振興協議会によって各所に設置された「七不思議案内」の各種案内看板の果たす役割は大きい。公民館所蔵の七不思議文庫は貴重である。
(志賀郷連続自由講座ノートより)