北野城に上り戦国の志賀氏を再発見(投稿記事)

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北野城へ上り、戦国の志賀氏を再発見(市民新聞に投稿)

2013年12月24日  広沢直子(志賀郷連続自由講座運営委員会広報担当)

「北野城」は室町・戦国時代の「志賀氏」の山城跡である。城主志賀氏は天正10年(1582年)明智光秀に従って出陣し討死、一族は滅び、以後城主の面影は地元から消えてしまった。3歳の幼い子息が乳母に保護されて由良川右岸の桑飼村にのがれその地で帰農したという物語は<綾部市史>上巻によって知っていたが、暮れも押し詰まる22日、その桑飼志賀家から壮年の志賀氏が姿を現して、地元の人々と対面し、共に北野城跡に上り、道作りに汗を流されたことは年末の明る

 い話題として紹介する次第である。山頂は「城首」と呼び仁和町・池(地名)の住民の所有する城山である。ここは七不思議の一つ志賀郷の諏訪神社の裏山で眺めの良い要塞の場所と言える。近年は放置されていたのを、戦国の遺構を再発見しようと、池ノ谷を中心にした組の住民9名と縁故者4名が、クワ・ナタ・ノコなど手に、諏訪神社と反対側の北東の登り口から上り、雨交じりの中、綾部市教育委員会文化財担当の三好博喜氏による解説を交えて、蛇行して上下する独特の地形を体感した。

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城下には志賀氏の開削したと伝わる美しい「北野池」が残り、池ノ谷の奥には、明智光秀の重臣が光秀の命により建てたと地誌に記載されている「今宮八幡宮」が守られている。作業後、集会所で三好氏を交えて質疑応答、率直な意見交換が行われた。以上簡単にこのさわやかな取り組みの第一報としたい。(おわり)

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