‘2013/12’ カテゴリーのアーカイブ

北野城に上り戦国の志賀氏を再発見(投稿記事)

2013/12/25

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北野城へ上り、戦国の志賀氏を再発見(市民新聞に投稿)

2013年12月24日  広沢直子(志賀郷連続自由講座運営委員会広報担当)

「北野城」は室町・戦国時代の「志賀氏」の山城跡である。城主志賀氏は天正10年(1582年)明智光秀に従って出陣し討死、一族は滅び、以後城主の面影は地元から消えてしまった。3歳の幼い子息が乳母に保護されて由良川右岸の桑飼村にのがれその地で帰農したという物語は<綾部市史>上巻によって知っていたが、暮れも押し詰まる22日、その桑飼志賀家から壮年の志賀氏が姿を現して、地元の人々と対面し、共に北野城跡に上り、道作りに汗を流されたことは年末の明る

 い話題として紹介する次第である。山頂は「城首」と呼び仁和町・池(地名)の住民の所有する城山である。ここは七不思議の一つ志賀郷の諏訪神社の裏山で眺めの良い要塞の場所と言える。近年は放置されていたのを、戦国の遺構を再発見しようと、池ノ谷を中心にした組の住民9名と縁故者4名が、クワ・ナタ・ノコなど手に、諏訪神社と反対側の北東の登り口から上り、雨交じりの中、綾部市教育委員会文化財担当の三好博喜氏による解説を交えて、蛇行して上下する独特の地形を体感した。

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城下には志賀氏の開削したと伝わる美しい「北野池」が残り、池ノ谷の奥には、明智光秀の重臣が光秀の命により建てたと地誌に記載されている「今宮八幡宮」が守られている。作業後、集会所で三好氏を交えて質疑応答、率直な意見交換が行われた。以上簡単にこのさわやかな取り組みの第一報としたい。(おわり)

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由良川市民講座に今年も出展しました(宣伝)

2013/12/09

2013年12月7日の市民講座の会場に今年も「パネル展示」で目下の活動を発表、宣伝しました。(和知ふれあいセンター)

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新しい姿へ活性化する私たちの共有山奥山について、四季折々の活動を紹介する写真と、あやべ市民新聞今年の7月24日号10面全文掲示しました。

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さらに、志賀郷の七不思議伝説を同時にアピールしました。「奥山八景と伝説の七不思議」という懸案のタイトルが、やっと陽の目を見ました。(数年前にヒントを与えて励ましてくれた学生諸君に改めて感謝します。)

「郷土の自然と伝承をむすぶ」活動として由良川市民講座のテーマにぴったりと私は思っておりますが、登壇された3名の研究者の講演内容はちょっとかけ離れて感じられた・・・。それよりも偶然隣のパネルに福知山市の川口中学校の生徒の「地域を知る」と題された学習発表があり、こちらのほうが私たちの活動と通じるものがありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また、現在スタートしているプロジェクト「戦国の北野城主、志賀氏の物語を探る」のうち、北野城跡を住民自ら現地学習し再発見する計画について、その周辺の情報を紹介しました。(先日の公民館文化祭の内容と同じ)

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