大江町「市原谷」から峠を越えれば志賀郷の奥、西方町

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由良川右岸、大江町市原谷は峠を越えて綾部市西方町に往来がありました。市原谷ではこの山道のことを「大餅喰い」と呼びならわしています。毎年正月になると市原谷に双方の若者が集まってモチの大食いを競った。なぜかいつも勝つのは西方勢・・くやしがった市原谷勢は・・とつづくDSCF2005.JPG昔話。

村人の往来が絶えてから幾年月、この道はまぼろしの峠となりました。と言えばロマンチックですが現実はこんな感じ、ありふれた植林の道になってしまった・・・しかし、やはりどこかにただよういにしえの記憶、人々の思い出の道です。

元禄15年、赤穂浪士の討ち入り後ただ一人首尾を報告する密命をうけて江戸を離れ、豊岡までの途中ここ市原谷をめざした最後の忠臣蔵・寺坂吉右衛門の面影も、ここ志賀郷の峠のどこかに残っています。

「多分、江戸から京、山家から横峠を経て、志賀郷に入り、市原谷の当主芦田与右衛門為直を訪ねて、峠を越えていったと思われる」というのが、私達のシナリオです。今21代を数える芦田家には大石内蔵助の若いころの手跡が残されていると聞きます。元禄15年当時の当主為直は大石内蔵助の妻リクの実弟でした。

 

 この峠を越えて志賀郷の「三土市」まで行けませんかねえと大江町の友人からオプションがあった時、「歓迎します。大丈夫ですよ」と、今の志賀郷の人ならば必ずするお返事を、私もしました。(自然に口から出た)

この写真は、8月16日大江町側と志賀郷側の4名で現状の下見をした時のものです。随行した私のずり落ちそうなところが何ヶ所かあってそのたびに大声を上げてアッピールDSCF1999.JPGお陰さまで8月28日峠歩きのメンバー5名が峠道の整備に着手。まぼろしの峠がだんだん現実になりました。

(市原谷に通うもうひとつの道「岳峠」はまだ幻のままですけれど。人々の記憶と、絆はどの峠にもまだ息づいています。)

 

 

 

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