‘2009/08’ カテゴリーのアーカイブ

岳山(嶽)の純白のきのこ

2009/08/30

8月3日に10名で、再度、嶽山(岳山)に行きました。昔、山上にあったという寺院の跡を調べに行きました。

坊口町長松寺の横からのぼります。

7月15日にも探索して、その後長松寺からも情報を得ていましたので、寺跡らしい場所へは、さほど困難もなくたどりつけました。礎石のような石がたくさん散らばっていました。

私はその近くで、ビスケットみたいな土器のかけらを拾いましたら、これが土師器の底部で、これによって、寺院がこの地に室町時代ごろまで存在した証拠になると、あとからK先生のレジメで知って、驚くやら、うれしくてくすぐったいやら。この場所には何が落ちているか分からないから、これからは、ますます下を見て歩かねば。

それよりも、目に飛び込んでくる、きのこ、きのこ。その中に純白の、きのこがありました。初対面は遠くから、周りから浮いて見えました。近くのものは、中から真っ白い粉を吹いて、とても触れる気にはなれませんでした。

遠くから発見してH氏のカメラで取ってもらった映像

遠くから発見してH氏のカメラで取ってもらった映像

あとで借りたきのこ図鑑で見たら、無数の毒キノコが並んでいて、その中に純白のきのこによく似たものもありました。きのこの種類はたくさんあって、毒の種類もたくさんあって・・・不思議な世界です。

この山に住んでいた人々は、きのこのこともよく見知っていて、きのこと共存していたに違いありません。「きのこ神社」もなかったかしら。

私のデジカメで撮った純白のきのこ

私のデジカメで撮った純白のきのこ

なお、山上にあったと思われる寺院は、名前は確定しませんが、確かにあったのです。何時ごろのことかも分かりません。文献はいろいろあります。http://www.myayabe.net/web/modules/walker/index.php?page=article&storyid=26

「赤穂浪士」、由良川を渡る

2009/08/11

8月9日(日)小雨の中、決行された<由良川、川舟レース>

台風はまだ来ていなかったので、水の上なので緊張しつつ、わあわあきゃあきゃあと、のどかに進行していました。

加佐ふるさと塾、21加佐活性化協議会の主催。(7月の久田美峠で勉強会のときに知りました。)

   木造の和船で4人一組でオールを漕ぐパドル部門に24チーム(内女性は6チーム)

   一人で漕ぐ櫓(ろ)部門に6人が出場(これは私も体験してみたい、女船頭さん) dscf55631

出場者の住所は、和江、水間、神崎、下東、久田美など、由良川河畔の懐かしい地名が多かった。チームは、岡田上区長会、岡田中のYesWeCan!、地元高校生のエミリー、などなど、市役所職員の7チームを含め、すべてやる気全開のパワフルな、真剣勝負でした。(救命具をつけていても、水の上では、見ている方も緊張しながら笑えました。)

アトラクションの、<47番目の赤穂浪士、寺坂吉右衛門>が由良川を渡ります!

とアナウンスが流れ、大河ドラマ<赤穂浪士>のあの<ゴジラ>のテーマにどことなく似ている重々しいテーマがきこえて、この旋律を知っている人は思わず爆笑!ずいぶん昔のドラマです。

dscf5589_editedやがて、吉右衛門に扮した青年が由良川の堤防を歩いて登場。船頭の漕ぐ伝馬船で対岸の地頭へ渡るひとときのパフォーマンスは、本物を見るようでした。

2004年暮れ、NHKの木曜時代劇で<最後の忠臣蔵>のタイトルでこの寺坂吉右衛門が主人公のドラマを見た頃、私達は登尾峠(城屋峠あるいは丹波峠ともいう)を越えて、向こうの舞鶴市城屋の人々と出会っていました。城屋の人々は、峠についていろいろなこと、私達が知らなかったことを教えてくれましたが、そのなかに、

47番目の忠臣蔵といわれる、寺坂吉右衛門が、綾部の志賀郷を通り大江町の市原谷へ、峠を越えていったという言い伝えについての物語もありました。

吉右衛門は大石内蔵助の命を受けて、本懐を遂げたことを豊岡に住む大石リクのもとへ報告に向かうために、大石リクの弟の婿入り先(大江町市原谷)に立ち寄った後、小原、原谷峠を通り、桑飼下の民家でお茶を所望。そして、川舟レース会場付近にあった宇谷~地頭の渡しを利用して由良川を越えて行ったのではないか・・・と舞鶴の人々は言い伝えておられます。

dscf5593_edited最後の忠臣蔵、寺坂吉右衛門、志賀郷を通る。

 それ以来、寺坂吉右衛門という名前は、知っている人のように懐かしいのです。

NHKのドラマでは、吉右衛門は悩みぬいた末、恋人に励まされて生き抜くという結末でした。  おわり