不思議な「嶽山」と、山上の同級生

水田のあともあって、瓦やお茶碗も落ちていました。

水田のあともあって、瓦やお茶碗も落ちていました。

 市原峠(いちわらとうげ)は、他の多くの峠と同様、今は誰も通らなくなった、幻に近い峠です。綾部市志賀郷地区内の、坊口町、仁和町、西方町、の少なくとも3ヶ所から、大江町の市原谷(福知山市)へ越える道です。峠のある一帯の山を、「だけ」と、みんな呼んでいます。

「だけ」とは、「嶽」と書いて、お山と言う意味です。今の地図では岳山と書かれています。標高368.9。

この山の上に、一軒、家があって、女のきょうだいが、志賀郷の志賀尋常小学校へ通って来ていました、という昔話は、志賀郷の村ではわりと有名な昔話です。峠の向こうの住民でしたが、学校は、こちら側へ降りてきていた、とのことです。

昔話は、ただそれだけで、「嶽」の一軒家から通学していた姉妹のことは、詳しく知らなかったのですが、最近になって、地域の80代、90代の女性から聞き取りをして、この昔話が本当であったことだけは、わかりました。姉妹がひとりかふたりか、話はまちまちです。男きょうだいがいたこと、姉が複数いたことなど。昭和10年ごろまでには、男きょうだいが市原谷に降りてきて、家を建てたので、ちえちゃんたちも降りてきた。と言うところで昔話は終わります。今年92歳のおばあちゃんは、ちえちゃんの一級上やった、山の上の池には鯉がいた、と話しているそうです。

市原谷から峠を越えてお嫁にきた今年84歳の女性の、記憶は、まだ鮮明で、「普通のわら屋根の家やった、山から下りて、市原谷に家を建てたあとも、父親は降りてきたのを見たことはない、昭和20年頃には、もう山の家はなかった。」

これ以上詮索すると、いくら年を経ていても、個人情報かもしれませんね。

ちえちゃんの家では、山の上に、山の中に、水田を作っていたそうです。

「嶽」山に水田があったことは、よく知られていて、坊口町の人々が耕作していたとも言われます。

また、「嶽」山には、寺屋敷、天狗岩、弁天さん、など、いわれのある場所が点在していて、昭和30年の「志賀郷村誌」に記録されている黄金伝説の場所も、ここです。

http://www.myayabe.net/web/modules/walker/index.php?page=article&storyid=23

最近、こちら側の何人かが、このあたりを探検していますが、目的は各人各様みたい・・・

私は、難儀な山道を通学してきたちえちゃん達のことを、覚えているおばあちゃんがいることが、うれしくて、何かしら心を励まされる気がします。

ちえちゃんもどこかで、長寿を享受して、志賀小学校の同級生のことを覚えておられますように。   おわり

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