峠で学習会(何を学んだか)

石柱発見(腰掛石とは思っていない5月6日)

 

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前日まで日参して準備
前日まで日参して準備

 

 この数十年、地域の人々(むこうは久田美、こっちは志賀郷)は、たぶん誰も通ることのなかった峠、久田美峠(くたみとうげ)の上で、19名もの老若男女が集って、「峠で勉強会」が実現できたのは、どういういきさつがあって、実現できたのでしょうか、ということのほうが、勉強会の内容よりもたぶん、おもしろいし、たぶん大切であると思っております。

でも、2009年7月1日午後、「峠の勉強会」の日が、記念日ということになるのでしょう。記念日の前には、記念されない準備の日々があって、こっちの方がおもしろいのですが、記録されるのはたいてい記念日の方ですね。

 勉強会の内容は、峠のあっちとこっちの、郷土史研究家の先生方の、日頃の研究の成果で、丹波峠(久田美峠)の歴史、峠の腰掛石の由来、久田美峠と軍用トンネル、陣屋岳は山城か、陣屋岳の尾根で採取した弥生時代の石斧、などのテーマでした。質疑応答もあって、比較的分かりやすい勉強会で、参加者は満足したと思います。

この日の参加者の動機は、まちまちかもしれませんが、峠という場所そのものが、人をひきつける力を持っています。峠を大切にしたい。

長い年月、人が通らなかったために、今崩れようとしている峠の道を、直したい、歴史・伝承の勉強もしたい、峠の周りの自然環境も楽しみながら、ということを、しばらく続けてみましょうか。

 五つも、六つもある峠は全部、丹後へ越えます。

<ふるさとは 丹後に近き 道ありき 峠に尾根に 卯の花の咲く>という歌は16年も前の歌で、空想して作った歌です。幻の峠の数々を、現実に訪れることができて、あー生きていてよかった。とおおげさですが、実感ではないでしょうか。ひとりではとてもたどり着けない場所ですから。dscf5033-1

中国語に峠という漢字がないのは、なぜであるか、どなたか教えてほしいです。

沖縄方言ではどうかな、なんて、当てもなく考えています。これは叔母か従妹に電話で聞けば、わかるかも。

峠があって良かった。行き止まりがなくなって、外の別世界へのとびらが開きますから。     おわり。

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