‘2009/01’ カテゴリーのアーカイブ

登尾太鼓の創作

2009/01/27


「登尾太鼓」の形は、みんなが同じように一人で、大太鼓を打ちたい、という女性の願いを元に出来上がった形です。大太鼓を一列に並べて、向こう向きにそろい打ちします。
 

「登尾太鼓」の構成は、地域の共有山である奥山の、歴史と風光を描写し、行き止まりの峠の向こうへ向けて、開通を呼びかける、という内容です。
その結果、なんだか歌謡曲のような、演歌のような太鼓になりました。

木丈先生(太鼓の先生のペンネーム)に創作を依頼して、この新しい太鼓が出来上がりました。女性が打ちやすいようになっております。
「登尾太鼓」は、登尾太鼓会のレパートリーのひとつとして、永く披露してきましたが
メンバーが減ったために、演奏する機会がなくなりました。
木丈先生は太鼓会の指導員として、ボランティアでずっと、私たちの面倒を見てくださいました。なかなか言うことを聞かないおばちゃんばっかりの登尾太鼓会でした。
木丈先生が急逝されて、先生の残された太鼓の譜が、何種類かあります。
「登尾太鼓」以外に、「二拍子」、「観音太鼓」など。
 先生、お世話になりました。生前のお年賀状に「太鼓は友達」と書いていただきました。わすれませんわ。あちらでも太鼓と楽しんでおられますように。

女性の太鼓グループが珍しい頃で、いろんなところに呼ばれていきました。
木丈先生のお世話で行った大江町の鬼祭りのステージ
子供のように楽しくて、本番に強い女の太鼓。

登尾太鼓会の誕生

2009/01/25


奥山に桜の植樹が始まった頃、地域に女性ばかりの太鼓グループが誕生していました。
ほとんどが、40代、50代、60代で生まれて初めて撥(バチ)を握ったという異色のグループでした。
昔から、太鼓の音を好む女は多かったのです。伝統的には男のものである太鼓を、女も打ってみたいという望みが、地域で実現した、明るい動きでした。

「太鼓を打つ者も少なくなって、子供も打たなくなっていたのに、こんなに大勢の婦人会の人が太鼓をしてくれるなんて、うれしくて、ねむれんかった」と、喜んで先生になってくださる方が、地域にお二人もおられたのです。本業は大工さんと瓦屋さん、お二人とも伝統ある「綾部太鼓保存会」の古くからの会員でした。

1993年11月23日、初めての桜植樹の日
奥山の行き止まりの府道で、習ったばかりのリズムを打つ。
峠の向こうへ向けて、打つ。
演目は、「あやべ太鼓」と「登尾太鼓」。
グループの名前は「志賀郷登尾太鼓会」。

登尾峠を探す人

2009/01/19


2004年3月21日のお彼岸の日
奥山の府道沿い、峠まで300メートルぐらいの所に、エドヒガン苗を10本植えました。
地区婦人会を母体にした奥山・登尾峠に桜を育てる会のメンバー12名で植えました。
この年の4月7日
植えた苗にわらを敷いていたら、道路の上の方から乗用車で降りてくる人が居ました。
登尾峠はここですか、行き止まりですね、といわれました。
そうです、行き止まりです。歩いて越えた昔の峠を今探しているところです。と答えました。
これが、なべちゃん氏との初対面です。写真は2004年5月22日の映像
その後、4月18日の、奥山・お花見ウォーキング
5月12日の、登尾峠を歩いて越えるための準備会
7月25日の、登尾峠を歩いて城屋まで越える下見会にもご参加いただきました。

写真は、同じ場所の2008年12月の映像です。
エドヒガンは、寿命がすごく長いと、苗木を提供いただいた財団法人日本花の会の資料で知りました。成長もゆっくりです。

行き止まりの登尾峠

2009/01/16


志賀の奥山を登る府道490号線(物部・西舞鶴線)
 頂上付近で、行き止まりです。(西舞鶴へは行けません)
地図には、登尾峠と表記されています。
 
1993年11月に、私たちは初めて、桜の苗を府道沿いに植えました。
これは、翌年の春、1994年の行き止まりの映像です。

登尾峠への道

2009/01/12


奥山は杉・ヒノキの植林の山です。植えれる場所には全部植えてあります。
桜を植える場所を探すのが、まず課題でした。
道は,頂上付近の登尾峠で行き止まりですが、れっきとした府道です。府道脇に桜を植えることは、京都府の土木事務所にお伺いを立てなければ実現しません。

上に行くほど道は明るくなります。空が近くなる感じ。
植林の奥山を所有・管理・運営しているのが、社団法人「志賀・郷和会」(しがきょうわかい)、私たち住民の組織です。
桜を植える場所を探すのに、郷和会の賛同、協力がどうしても必要でした。

奥山1993年の伊八

2009/01/08


15年前の伊八
1993年11月23日
共有山・奥山に桜を植えようと 当時の地区婦人会が地域に呼びかけました。
(伊八とは、場所の名前です。当時、奥山唯一の緑陰の場所)

婦人会の呼びかけに応えて集まった人々

女性組織の力が、みんなを引っ張りました。
 すごく寒い日で、郷和会の人が焚火をしてくれたっけ。
60本ぐらいの苗を、杉・ヒノキを植えるように、簡単な穴掘りで、気軽に植えた、初めての植樹。道路沿いに植える場所を準備して奥山のあちこち、6~7ヶ所に分かれて植えた。
水もかけなかった。あくる日は京都府中北部に初雪が降って、ほっとした。

2008年12月現在の伊八
植えた桜は大きくならず、梅の木のように古びました。
林の中に植えた山桜は、元からそこにあったように、じっとしています。
真夏の奥山で一番涼しい場所です。

京都新聞カラー記事

2009/01/05


昨年の秋のこと、わたくし達が奥山のぬた場で行った育樹・植樹祭について、京都新聞が報道したカラーの記事を、このブログに掲載したくて,いろいろ苦労しました。
掲載許可の手続きは無事済ませましたが、編集管理課からメールで送ってもらった記事を、ここへ載せることがなぜかうまくいかず、あきらめたのです。(操作が分からなかった)
今、ふと思い出して、もう一度やってみようと、操作したら、あら不思議、今度はなぜかうまくいきました。
 まるでダンスのステップを習うのと同じで、リズムと体の動きで何回も繰り返して、いつの間にか、あら、クリアしました。
 丹後・中丹版にカラーで掲載されて、嬉しかったのです。改めて、ありがとう。
(なお、この記事は昨年の12月12日付けのTheKyotoShimbunWebNewsに掲載されました。)

雪の道

2009/01/04


暮れに降った雪が、雨で解けては、又積もり、今奥山の道は危なくて車で上れません。
 昔の人々は、雪の日はどのようにして峠を越えたのでしょう。峠の向こうへ、お正月の里帰りは、どんな様子だったのでしょう。どこまでも徒歩で移動した、昔の日本の庶民は、ほんまにエライ。
雪の日、奥山への道

奥山入り口へ(正面に見える尾根が、ぬた場)

猟期なので猟友会の皆さんは通ります。

嬉しいお正月、嬉しい年賀状

2009/01/02


昔から、お正月はいつも嬉しかった。新しい年、新しいカレンダー、どのうちでも作る同じようなおせち料理、ちょっとしたお年玉、そして嬉しい年賀状。
お年賀状に、ちょっと手書きされた言葉が嬉しい、今朝の春。
*太鼓を頑張っておられるんですね、ゆっくりお話したいですね。
*理想の山めざして、今年も一歩一歩進みましょう。
*年寄りにはなりたくないと思っていましたがそれは無理でした。物忘れがひどくなりました。
*カルタ会おまちしています。
*お元気ですか、中国旅行も10回を越えましたが中国語は話せません。二胡がんばっています。
*丹精込めてお世話の桜、きっと美しく咲くでしょう。その頃にたずねてみたいと、今から心待ちにしています。
*夢を共有し、希望を語りましょう。
*あなたの張り切った明るい顔を見ると、とても嬉しくなります。身体に気をつけて頑張ってください。
*超多忙な生活のようですが、大丈夫ですか。今年の「蕗のとう」の会は、3月21日の予定です。お心積もりよろしく。(詳細は後日)
*いつもご苦労様です。あなたの努力が稔ってきましたね。長生きして奥山を見守ってください。
(これは、私より一世代も年上の方の言葉。年上の人から長生きして奥山を見守ってと言われてぐっときました。)
 

今年の言葉「縁」

2009/01/01


去年のキーワードは「つながり」でした。人と人の「つながり」を今年も大切にします。
今年のキーワードは、「縁」ということにします。
「つながり」も「縁」も似たようなことですが、「つながりをたいせつにしたい」ことと、「縁がなければしょうがない」とあきらめることと、両方あれば、バランスがいいと思いました。
 <有縁千里来相会、無縁対面不相逢>