故・梅原諭氏を悼む

2017/04/25

「志賀郷連続自由講座」代表、元「志賀郷に桜を育てる会」会長梅原諭氏が4月18日急逝されました。2002年志賀郷地区自治会連合会会長に就任当初から、当時志賀郷地区婦人会の継続事業であった奥山に桜を育てる事業に理解を示され、2005年に地区婦人会が解散してからは、連合会有志の方々と共に新たに「志賀郷に桜を育てる会」を結成されその会長として以降6年間共有林奥山のサクラの事業を強力に支えられました。引き続き2011年に開催された京都国民

文化祭協賛事業として始められた「志賀郷連続自由講座」の代表として、「志賀の七不思議伝説」の宣伝や志賀郷地域における明智光秀伝承の発掘などをはじめとし、郷土の自然と文化を学び広く発信する様々な企画を率先して推進されました。志賀郷地区の中央部に位置する仁和町池ノ谷に生まれ育ち、成人して学業を修められ職務を極められた後は故郷に戻られ、幼少から胸に育まれた先人の文化を大切に継承されていました。特に最近になって志賀小学校の児童に対して発表された「志賀の七不思議伝説」についての見識は生きた伝承として貴重なものと思われます。

毎年誰よりも早く奥山のサクラの見ごろを予想されました。今年は23日にお花見を予定しましたが、条件が整わずに公開を断念したばかりでした。今はあまりにも突然のご逝去になすすべもなく、心からの哀悼の意を捧げることしかできません。安らかにお眠りくださいますようお祈り申し上げます。 (2017年4月25日 志賀郷連続自由講座企画広報担当 広沢直子)

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奥山のサクラを下見(工事中の府道、改善されました)

2017/04/12

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4月9日にやっと下見に行きました。奥山のサクラも、長かった冬を無事に越えて春を迎えています。山中の府道も頂上付近までさいわい無事でした。(山へ通じる平坦地の工事は舗装の仕上がりまでは間がありますが、農耕車、軽自動車は現在通行できる状態です。)

23日の日曜日まで「山桜ならまださいているやろ、今年はどこも遅い」と、見立てられました。去年はやむなく中止した奥山のお花見を、今年はなんとかできそうです。( 去年同様に志賀郷連続自由講座が企画広報します。現在関係方面に協力依頼、連携調整中です。)

下の画面は、3月下旬の工事中の様子です。

 

 

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志賀小学校4年生が「志賀の七不思議伝説」を発表(10月22日)

2016/11/21

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志賀小学校4年生10名が今年も中丹学校文化祭「由良川元気サミット」の舞台で元気いっぱいに「志賀の七不思議伝説」について発表しました。七つの不思議のうち、子供たちが選んだのは「ゆるぎ松・しずく松」の不思議伝説。

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明智光秀の命令によって「ゆるぎ松・しずく松」が切り倒される場面です。

倒された松は運ばれて、福知山城の棟木になったと言い伝えられています。

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「ゆるぎ松というのは、風も吹かないのに葉がゆれる松のことです。毎年正月七日の日の出から日中にかけて、葉がゆれたそうです。上の葉がゆれると都にいいことが起こり、下の葉がゆれると都にわるいことが起こったと言われています。」

「しずく松というのは、雨もふらないのに葉からポタポタとしずくが落ちる松のことです。毎年正月6日の午前10時になると、松のしずくが雨のように落ちたそうです。そのしずくの様子は、その年の干ばつや水害などの災害を示していたと言われています。」

「現在の福知山城は立て直しが行われたため、むな木にはこの松は使われていません。その時に取り除かれた松のゆくえは、現在は分からなくなっています。」

「しかし志賀郷の公民館には、しずく松のものといわれている厚さ15センチほどのとてもぶあつい木の皮が、今も大切に保存されています。また、2本の松が生えていたところには、二つの石碑がたてられ、今は三代目の松が植えられています。」

「七不思議伝説は、現在までお年寄りから子どもたちへ大切に語り継がれてきました。ぼくたちもこの伝説を大切にし、今度はぼくたちが広く伝えていきたいと思いました。」

(担任の光枝真穂先生指導の舞台台本から 一部お借りしました。)


志賀郷・歩こう会(第28回)別所、篠田を歩く 5月29日

2016/06/13

P1010132.JPG今年は7年ぶりに別所、篠田方面。参加者は約150名。若い人の参加も多かった。7年ぶりというと、一年生だった子ども達が中学一年生になっています。

あやバス「別所町」の分岐点、左が別所への道、正面の森は篠田神社です。右へ向かうと篠田、深山から七百石町方面です。P1010132.JPG

 

 

 

 

別所町では、普段は閉じられている熊野神社舞堂と願成寺が公開され、篠田町では篠田神社本殿で地元の人のガイドがありました。平安時代の京都と志賀郷地区のつながりを示すゆかりの地です。公民館の配慮で参加者全員に簡単な資料も配られました。

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熊野神社の境内のむこうに見える縦貫自動車道は、篠田トンネルを抜けて別所を通りやがて別所トンネル、内久井トンネル、坊口トンネルに連なって由良川までつづく。昔の尾根の道が現代の高速道路になっているようです。P1010177.JPG

いつも資料館の図録で見ている十一面観音立像と蔵王権現像を身近に拝見しました。平安時代。P1010177.JPG

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熊野神社舞堂の屏風絵P1010154.JPGP1010159.JPG

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七不思議の筍さんの篠田神社

本殿は五間社流造、京都府指定文化財。

七不思議伝説の五つの神社が正面に並んで祀られて  いる・・・不思議。P1010196.JPG

本殿を裏から見ると五間社が手に取るようです。Scan-001.jpg


古老、桜を伐る・・ヤマザクラ救急作戦(5月18日)

2016/05/23

DSCF8562.JPG福ノ畑のヤマザクラの、大きい方の幹が縦に裂けて、もう片方に寄りかかっている。このままではいづれ共倒れになるかもと痛々しい。内久井町の女性たちが夫婦ザクラと名付けた古いサクラです。今のうちに救急措置をすればなんとか助かるだろうと、去る17日にアドバイスがありました。奥山の古老たちもサクラの苦しさを見て、決心されました。

「桜伐る」決心。高く伸びた枝を伐りながら、進む大仕事でした。 DSCF8566.JPGDSCF8577.JPGDSCF8577.JPGDSCF8581.JPG     DSCF8589.JPG

DSCF8584.JPGたまたま通りがかったカメラの彼が手伝ってくれました。

谷側のこの一本のヤマザクラの枝も今までに何度も雪折れしたのです。

支柱をしたいです。

 

 

頼もしい奥山の古老です。DSCF8599.JPG

 

 

 

 

 

 

 

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16日の奥山でサクラも待っていましたが17日当日は一転して悪天候のためウォーキングは中止となりました。

2016/04/17

DSCF8468.JPG16日福ノ畑のヤマザクラと思川

DSCF8417.JPG二俣口の御衣黄(ギョイコウ)

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DSCF8465.JPGDSCF8464.JPG  福ノ畑DSCF8469.JPGDSCF8470.JPGDSCF8479.JPG

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17日のウォーキング当日配る予定だった奥山府道の沿線マップ

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奥山ヤマザクラ・ウォーキング開催します。

2016/04/13

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志賀郷公民館に掲示したポスター

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JA何北支店に掲示したポスター


阿須々伎神社に復活した世阿弥作「難波」の能舞 (2015年10月) 

2016/03/30

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昨年秋10月11日、阿須須伎神社の秋祭りで舞堂で演じられた「能舞・難波」の舞台のことを紹介します。

阿須須伎神社に集う4町区の住民が結束して2年前に保存会を結成、古老の指導の下に人材を養成、地域が一丸となって努力、実に24年ぶりに復活を果たした記念の舞台です。

演目は世阿弥作「難波」。人々の渾身の演技によって、能が身近なものとして感じられました。舞台は大和朝廷の拡張期、難波(今の大阪)に宮殿を持っていた仁徳天皇についての故事を、百済の人「王仁」わに と伝説の「木の花佐久夜姫」このはなさくやひめ が現れて舞い謡うというおめでたい内容でP1020588.JPGす。

演じるのは坊口町の人々です。

長くない15分ぐらいの仕舞でした。P1020584.JPG

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この日、舞台中央主役シテの前に置かれた台の上に、さりげなく能面2面が安置されていました。これは坊口町に保存されている5面のうちの翁と女面で、「翁面は南北朝時代のもので、能より一段と古い猿楽が行われていたらしい。」と綾部市の図録にあります。

こんなに長い年月を保管継承してこられた坊口町の人々の力に感服しました。能舞が次に奉納されるのは4年目です。4町区が輪番で多彩な芸能を奉納されるからで、各町区とも継承に力を尽くされています。  金河内町、内久井町、仁和町そして坊口町です。

阿須々伎神社の祭礼芸能は府登録無形民俗文化財で、狂言、太刀振りなどがこども達によって演じられます。

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明智光秀伝承、綾部市(何鹿郡)を歩く

2016/03/11

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丹波福知山・明智光秀公研究会はじめ福知山史談会、観光協会による初めての試みです。

私たちの町綾部にも、いにしえの明智光秀の物語を語り伝えた人々がいます。

その物語に耳を傾けて、秘められたメッセージをつかみ取りましょう。

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まいづる探索隊と七不思議の茗荷さんのこと

2015/12/27

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まいづる探索隊41名の皆さんが遠路綾部市志賀郷まで七不思議めぐりに来訪されました。

日程は、2015年9月18日(金)午前10時~午後3時

午前中は諏訪神社~若宮神社~酒蔵~夜嵐墓碑を歩いて巡る4,2キロのウォーキングコース。 午後は乗用車10台に分乗して阿須須伎神社~藤波神社~篠田神社 そのまま舞鶴方面ヘ帰途につかれました。

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探索隊のホームページには沢山の写真が載せられて、当日の様子が分かります。(ガイドをした私たちの方はカメラのスタッフが少なくて諏訪神社と阿須須伎神社で数枚撮っただけです。上のものがその1枚、阿須須伎神社の茗荷田を見ている場面です。)

「2月の厳冬、雪の中から茗荷が芽を出してその年の稲作の吉凶を占います、不思議なことに茗荷が上がらなかったことは何百年の間一度もありません。」とガイドが声を大にして説明する。

この時熱心に聞いていた一行の中から質問が上がりました。「この茗荷は枯れないのですか?」 ガイドが答えて「枯れません!」

しかしその後、ガイドをした梅原会長がやって来て「正解は枯れるんや、済まんが舞鶴の方へ訂正しといてくれへんか。」

確かに、自宅のカキの木の下に夏の間しげっていた茗荷は秋になると黄色くなって笹が倒れるように倒れてしまいます。これを見て、「枯れる」と訂正したくなったわけ。

でも、本当は阿須須伎神社の茗荷田を一年間ずっと観察しなければ、ほんとの正解を出せないのではないかと、今頃気づいています。そのきっかけは次の写真です。

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11月30日に、ほんとに枯れているかどうか確かめに行ったら回りの柵が取り払われていて驚いた。老朽化したので新調することになったのです。

茗荷田の中は毎年こんなふうにきれいに掃除しているのかしら?と初めて見る光景に疑問が湧きました。左側の田、石組みの上に小さな祠を祀っていた周りには何か青々とした植物が生えています。実はこれと同じ植物が境内の谷の水辺にも、いつ行っても青々と生えているのを今までに見ていました。葉の形はヒガンバナのよう、花は咲かない。今でもこの草の名も知らない私たち・・DSCF7935.JPG

私たちは七不思議の古文書や過去の多くの研究記録を調べて、これをもとに七不思議ガイドをしてきました。しかし、紙の上の資料を重んじるだけで、実際の目の前の光景や人々の話す中身を十分に関心を持って調べることを、今まで棚上げにしていたのではないか? もっと人々のなかに入り、現場の自然の広がりのなかに入って七不思議伝説を考えることをしなければ、すぐに壁にぶつかってしまうということを最近感じるようになっています。

いつも、来訪者とのふれあいの中から次へ進むヒント、きっかけを得ることができるように感じています。

志賀の七不思議伝説は七つとも、地元のありふれた植物の上に不思議な物語を見ています。これがこの伝説の原点、特徴であるということをいつも忘れないようにしたいと思います。

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諏訪神社の境内、本殿前のカキを見上げて「御用柿」の不思議な物語を偲ぶ。まいづる探索隊の皆さん、ご来訪ありがとうございました。